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黒壁スクエアと秀吉

1980年代、滋賀県長浜市は、郊外に進出した大型店などの影響で中心市街地が衰退し、1988年4月、地元企業の経営者たちが、明治建築の黒い外壁の保存活用を目的に、第3セクター会社「黒壁」を設立したそうです。

地元に縁がなかったガラスが根付いたことによって、長浜は県内屈指の観光地へ発展したそうですが、ピークの1988年と比べ、売上が33%減っており、累積赤字も3億5,500万円だそうです(第3セクター「黒壁」の2017年度売上げは、6億800万円)。

大資本による再開発ではなく、また行政主導のまちづくりとは一線を画し、長浜の伝統的な建築物のリノベーション(改修)を地元の民間主導で行い、常にユニークな試みを発信し続けたことが、まちの魅力を生み出す原動力となったそうです。

長浜には明治初期に国立銀行や小学校を、実業家たちが県内で先駆けて設立したなどの進取の気風や、秀吉の時代から続くとされる長浜曳山まつりを担ってきた損得勘定を抜きに身銭を切って地元の発展に尽くす町衆文化も背景にあるそうです。

商品の多くがインターネットでも入手できるようになり、日帰り客が多く、滞在時間が短いため購入額が伸びていないそうで、今後、付加価値を高めた製品を作り続け、体験メニューを充実させることによって、客の訪問頻度を増やす工夫をしていくそうです。

長浜市の中心市街は、羽柴(後の豊臣)秀吉が長浜城の城下町として整備して以来の湖北の中心地で、長浜城廃城後も大通寺の門前町、北国街道や琵琶湖水運の要衝として発展しました。また長浜市国友町では戦国時代から江戸時代末期まで、堺、根来と並び、鉄砲の生産地でもありました。

織田信長と同様、豊臣秀吉は「大和族」です。「大和族」とは「天照大神」を拝む一族で、平氏の家系でもあります。

 

(参考文献)

山木秀二「ガラスと街の融合」『京都新聞』2018年9月8日、夕刊、p.8。

ウィキペディア「長浜市ーWikipedia」http://ja.wikipedia.org/wiki/長浜市、2018年9月17日。

Rapt「織田信長と豊臣秀吉が日本を『大和族』の天下にし、徳川家康が『出雲族』の天下へとひっくり返しました」http:rapt-neo.com/?p=26614、2018年9月17日。

 

 

 

 

 

 

 

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